関西人にとって東照宮って馴染みがあまりないです。
と言うより、日光東照宮しか知らなかったです。
今回、久能山東照宮を参拝してボランティアのおじさんから教えて頂きました。
家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)12月には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。
家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が始まっている。日光山の東照社は3代将軍・家光の代になって「寛永の大造替」と呼ばれる大改築がされ、徳川家康を祀る日本全国の東照宮の総本社的存在となった。同時に家光は久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、薬師堂(現・日枝神社)、神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、五重塔(現存は無い)、楼門が増築された。
なお、駿府城代支配の職である久能山総門番として代々久能の地を領して久能山東照宮を管理したのは、交代寄合の榊原家であった。 (wikipediaより)
つまり、久能山東照宮が本家なんですね。
歴史背景を知り「本物の勾玉」は久能山東照宮有る事を知りました。
しかも、富士山
富士山は、その昔は信仰・崇拝の対象
浅間信仰 富士浅間信仰
家康が久能山を好んだ事と何か繋がります。
やっぱり歴史は面白い! と感じました。